NGOピースボートを退職!~地球二周という人生のより道~ 前編

旅のコト

ご報告!

親愛なる皆さまへ。

2017年12月29日を持ちまして

任田和真は、国際NGOピースボートを

退職いたしました!

 

直接ご報告できず

ごめんなさい。

 

お世話になった人が多すぎて

報告するだけで世界中を旅しないといけなくなるので。笑

 

任田和真とピースボートの5年間を

ここに記し、ご報告とさせてください。

 

出会ってくれたすべての方へ。

心からの感謝と大いなる愛を込めて綴ります。

 

ほんとに本当にほんとーーーに

ありがとうございました!

 

いなかのサッカー小僧が地球一周へ

ガッコウの先生になりたい!

父も母も学校の先生だった家庭に

僕は生まれた。

石川県小松市。

ちょうどいい住みよい街。

母は7歳の時に亡くなり

父と姉との3人暮らし。

反抗期ど真ん中だった14歳。

父が突然自分の中学校の

「体育の先生」として赴任してきた。

拒絶し、それでも次第に

同級生から愛されている父の姿を見て

 

「ガッコウの先生になりたい!」

 

父に憧れる自分がいた。

 

よし、先生になろう。

ただそれだけ。

ただそれだけを思い描いて

高校を卒業し

大都会東京へと上京した。

日本大学文理学部サッカー部

大学でもやっぱりサッカーを続けることになった。

朝錬、昼練、授業、アルバイト、リーグ戦

僕の学生時代は本当にこれが全てだった。

楽しかった思い出より

はるかにキツかった記憶の方が多い。

 

でも

最後に主将を務めさせてもらったこと

一生の仲間に出会えたこと

それは何よりの財産となった。

(ダントツに人生で一番キツかった)

日本大学文理学部サッカー部 チョンボ―ズ 

 

繰り返される毎日。

僕はこのまま先生になるんだろう。

いたって順調だ。

 

人との出会いが人生を変える

 

僕のより道が始まったのは

20歳の時のヨーロッパ研修。

ある男と出会った。

 

-元青年海外協力隊 (JICA)-

太田 幸輔 Kosuke Ohta

 

「ブータンで2年間体育の先生をしていたよ」

 

え?…….

 

ジャイカ?JICA?ブータン?どこ?

え、海外で先生ができるの?

 

海外経験は修学旅行だけ。

右も左も何も知らなかった僕には

この男の言動ひとつひとつが新鮮かつ衝撃的で

何より最高にカッコよかった

 

「こんな人になりたい!」

 

そんな憧れを強く抱いた。

 

そして。

今でも決して忘れない21歳の1月。

人生が一変した決定的な一言と

出会った。

 

-国際NGOピースボートスタッフ-

三浦 茂晴 Shigeharu Miura

「僕は地球を6周しました。」

 

え?………

 

………….。

 

地球を6周した人なんてこの世にいるのか?

 

もし自分が生徒だったら

どんな担任の先生だったらおもしろい?

 

地球を6周したことがある体育の先生。

 

「コレだ!」

 

そんなおもしろい先生

絶対におらん。

 

人生最大のより道が

この時始まった。

 

ただ夢だけを持って

 

「地球を6周した体育の先生になる!」

教員免許をもらい、大学を卒業し

まずは地球一周のため

僕は迷わずフリーターになった。

家を売り、保険を売り、海外で仕事をして

大学の同期の多くは

一流企業に就職し、先生を始めた人もたくさんいた。

 

「お前、ろくでもねぇ人生だな」

 

お世話になった大学の教授に言われた一言は

今でも頭の片隅からこびりついて離れない。

 

「クソ。絶対にやってやる」

 

ピースボート地球一周の船旅129万円

僕が行くと決めたのは

居酒屋によく貼ってあるアレだ。

 

129万円か….

貯金は4万円。

 

ピースボートのボランティアに登録し

サッカーとアルバイトだけの日々から

ポスター貼りとアルバイトだけの日々が始まった。

今思えば

地球一周はココから始まっていた。

 

「え、お前高校生でしょ?敬語使えよ。」

「いやいや、先輩なんで」

「え….うそでしょ。 マジ?」

 

そこには色んな人が集まっていた。

社会人、高校生、おじいちゃん、大学生、社長、自殺志願者、ニート、フリーター、同性愛者

年齢も、仕事も、性格も、バックグラウンドも

みんなそれぞれ全く違う。

 

22年間体育会系の村の中でしか呼吸をしてこなかった僕には

ピースボートセンターという場所が

息苦しかった。

 

それでも、同じ地球一周を夢見る仲間と

気づけば語り合い、支え合っていた。

 

「色んな人がいる」

 

見た目だけで人を判断し

気の合いそうな人としか

接してこなかった。

自分の価値観しか

信じてこなかった。

 

そんな僕にとって

それは

大きな大きな

成長だった。

 

結局2014年4月~11月約半年間で

4000枚以上のポスターを貼り

115万円分の割引を貯めて

(ポスターを3枚お店に貼れると、1000円分の割引になる)

地球一周への切符をつかんだ。

 

キツかった。

悩んだこともたくさんあった。

でも今振り返れば

最高に楽しかった。

 

さぁココからだ。

 

100日20カ国1000人で地球一周するというコト

2014年11月21日

第86回ピースボート地球一周の船旅横浜出航

 

泣いた。

 

大学サッカーを引退する時も

誰かが亡くなった時にも

泣かなかった。

泣けなかった。

 

でも気づけば人目を気にせず

崩れるように泣いていた。

「うわっ…..」

 

船から港に目をやると

シゲさんが笑顔で僕に手を振っている。

 

「かずま、ありがとう!行ってらっしゃい!」

 

あの人がいなかったら

今、ココにいることは絶対にない。

 

そう思うと

これまでの人生が走馬灯のように

頭の中を駆け巡った。

 

「ありがとう!行ってきます!」

出会ったのはカッコイイ人生の先輩たち

1000人で地球を一周する。

同世代、高校生、定年退職者、芸能人、専門家

ジャーナリスト、アーティスト

カッコいい人生を歩んでいる

人生の大先輩たち。

 

船内は、人生が豊かになる

たくさんの”ヒント”に

溢れていた。

 

-旭山動物園園長-

坂東 元 Gen Bando

「子どもにカッコイイと言われる大人でいて下さい」

 

植物油の原料であるパームの実。

そのプランテーションがあるのが

マレーシアのボルネオ島。

原生林を切り開き、プランテーションを作る。

そこに住む生物は殺され、今では島全体の6割以上が

プランテーションになっている。

坂東さんからは、暮らしと生活の繋がりを

一緒にボルネオ島を旅して学んだ。

ボルネオ島の生物多様性に触れる / Peace Boat Cruise Report

 

-アパルトヘイトを生きた写真家-

ビクター・マトム Victor Matome

「人生は挑戦だ」

南アフリカ共和国 世界最悪の政策

人種隔離政策「アパルトヘイト」1948-1991

無実の黒人の子どもが誤って殺害された1枚の写真。

この写真がアパルトヘイト廃止の

自由への道を切り開いた。(ソウェト蜂起)

当時の黒人居住区ヨハネスブルク「ソウェト」

ココに行けたことは一生忘れることはない。

元黒人居住区「ソウェト」で感じた、過去の痛みとつながる未来 / Natsuki Kusano

 

第86回地球一周の船旅 洋上大運動会 青団 

「こんなに若者と大騒ぎして、運動会ができるなんて思ってもみなかったわ。人生最高の運動会。団長さん、本当にありがとう。」

 

船を降りた今でも

「青団の団長さん!」

 

そう呼び続けてくれるのは

素直にうれしい。(たぶん名前は忘れているけど笑)

 

下は6歳、上は94歳。国籍を超えた1000人の運動会。

こんなの絶対世界に1個しかない。

「ピースボートって本当にすげーな。」

心が震えた”地球”との出会い

世界には

そこに立っているだけで、鳥肌が立ち

涙が止まらなくなる場所がある。

 

「生きてて良かった」

地球は何度もそう思わせてくれた。

 

ナミビア🇳🇦 「ナミブ砂漠」

 

マダガスカル🇲🇬 「パラガン運河」

 

ブラジル🇧🇷 「コパカパーナビーチ」

 

ボリビア🇧🇴 「ウユニ塩湖」

 

チリ🇨🇱 「アタカマ砂漠」

 

ペルー🇵🇪 「ビジャエルサルバドル」

 

南アフリカ🇿🇦 「喜望峰」

 

ウルグアイ🇺🇾 「ラミレスビーチ」

 

タヒチ 「ボラボラ島」

 

チリ🇨🇱 「イースター島」

 

地球一周。

それは想像を遥かに超えて

最高だった。

 

一生に一度のタカラモノが

そこにはたくさんあった。

 

~続きはコチラ!~

NGOピースボートを退職!~地球二周という人生のより道~ 後編